医学博士として、人がよりよく生きる「Well-being」をテーマに研究している石川善樹さんに、幼少期から現在に至るまでの「あそび」の思い出や、実体験をもとに「あそび」の可能性についてお話をいただきました。
Well-beingと豊かさ
私が現在研究しているのは、「人がよりよく生きる(Well-being)とは何か」というテーマです。一昔前のWell-beingは、基本的な衣食住を満たした上でのさらなる豊かさというニュアンスで捉えられていましたが、現在はよりベーシックで、人の尊厳に関わるものだと考えられています。例えば、難民キャンプは10年以上滞在するケースが多いのですが、栄養を満たすだけの食糧を支援すると、難民たちの食文化は断絶されてしまいかねません。そこで、食文化を継承できる食糧支援や教育をしようというのが、現在のWell-beingの考え方です。人間の尊厳は、人として尊重されていないと感じた時に損なわれてしまいます。そういった意味で、あそびは全ての人がフラットになり、純粋に楽しさを追求できるためWell-beingな行為であるといえるでしょう。
アートがあそびばの島に生まれて ~真剣に「あそぶ」ということ
私が幼少期を過ごした瀬戸内海に浮かぶ生口島はアートの島としても知られ、島が丸ごと美術館のようになっています。なかでも目を引くのが、海に浮かぶ黄色い円形のモニュメント「ベルベデールせとだ01」。現在はSNS映えするスポットとして人気を集めていますが、私を含めた子どもたちにとっては絶好のあそび場だったのです。アートを厳かに鑑賞するのではなく、よじ登って海に飛び込んで……といったように、アートを使って暴れまわる。そんな環境で育ってきました。
中学・高校時代は格闘ゲームのストリートファイターシリーズに熱中して、真剣に腕を磨いていました。しかし、当時はeスポーツもない時代。サッカーを真剣に取り組んでいる友人は褒められるのに、ゲームの場合は褒められない。 同世代のゲーマーは、17歳にして格闘ゲームの世界チャンピオンになり、その偉業がテレビで特集され、現在はプロゲーマーとして活躍していますが、当時はあまり褒められていませんでした。そんな状況を目の当たりにして、私はゲームを信じ切れずに勉強に逃げてしまいました。
大学では新しいことにチャレンジしようと思い、ラクロス部に入りました。高校時代にワニワニパニックの日本チャンピオンになった経験があるので、反射神経には自信があったのです。ところで、体育会系の勝負の場では、ミスした選手に対して「今度の試合で使わないぞ」と叱責するなど、人を「使える」「使えない」の軸で判断しがちですが、私の所属していたラクロス部は違いました。スタメンの選手も、控えの選手も、スタッフも一丸となって、真剣にあそんでいたのです。皆が夢中になってプレーするからこそ、チームの一体感が生まれて強くなる。人を「使えない」と評価したり区別したりせず、真剣にあそぶことこそが、一人ひとりの持つポテンシャルを最大限に引き出すのだと痛感しました。
個性を尊重するあそび
それから大学時代、子どもの教育現場を研究するためにレッジョ・エミリア教育を実践している幼稚園を回ったことがありました。レッジョ・エミリア教育はイタリアで生まれた幼児教育の手法で、アートを通して自立性や協調性を養うことを目指すものです。例えばライオンの絵を描く場合、実際に動物園でライオンの姿を観察したり、銅像を触ってみたりと、3か月もの準備期間を費やします。その結果生み出される子どもたちのアートは、明らかにクオリティが高く目を見張るものがありました。
幼稚園ではたくさんの学びがありました。近所の公園に行く際、一般的な幼稚園では皆で手をつないで離れないようにするものですが、レッジョ・エミリア教育では子どもたちをあえて自由にさせるのです。好奇心の赴くままに自由に動き回り、そのなかでさまざまな発見をする子どもたち。主体的に行動し、目を輝かせる姿はほほえましく、とても健全なものでした。
ある日、園舎でだるまさんが転んだをする時に、2人の園児が参加しなかったので「一緒にあそぼうよ」と声をかけると、私が先生に怒られてしまいました。理由を聞くと、呼んで来るのはいい子、来ないのは悪い子だと感じさせてしまい、大人の顔色を窺うようになってしまうとのこと。子どものペースに任せればいいと教えてもらい、見守っていたところ、しばらくすると2人の園児も一緒に参加してあそんでいました。
こんなこともありました。冬場に公園にあそびに行くと、池の水が凍っていたので、子どもたちにあそび方を教えてあげようと思い「氷を割って太陽を透かして見てごらん。きれいだよ」と声をかけました。しかし、子どもたちは氷の美しさよりも氷が割れる音や感触に夢中で、バリバリと氷を叩きつけながらおおはしゃぎしており、思い通りにはならないものだと実感したものです。幼児教育は義務教育と異なり、子ども本位でものごとが進んでいい。そして、子どもとあそぶのは非常に専門性が高く難しいのだと体感した経験でした。
あそびと報酬回路
岐阜県の長良川というところがありまして、一級河川でありながら本流にダムがないため水質がとてもよく、日本最大の清流です。そこでは、子どもたちが十数メートルもある橋から川にめがけて飛び込むあそびに熱中していました。それを見た観光客の大人が真似をして飛び込み、ケガや事故につながってしまうこともあるようですが、地元の子どもたちは小さな段差から練習をはじめて、高い橋から飛び込めるように成長しているそうです。高い場所から海や川に飛び込んでも、何かが得られるわけではありません。しかし、大人もそういった状況を楽しめる能力を持っています。あえて報酬が明確ではない状況に行くと、大人もあそんでいる感覚になるのかもしれません。
子どもがあそびを全力で楽しめるのは、脳の報酬系回路の違いに起因しているとされています。子どもの世界は未知にあふれているため、報酬や刺激の大きさに関係なく大きな喜びを感じるという脳の特徴があり、例えば大人は10円と1万円をもらうのでは喜び方が異なりますが、子どもにとってはどちらも同じくらい嬉しいものなのです。そして、特に報酬がない場合でも、子どもはあそびに真剣になれるものです。仕事など、お金という報酬がモチベーションになっている場合、報酬の大小で自分の価値を捉えてしまい、「私の価値はそんなものなのか」と落ち込んでしまうこともあり得ます。しかし、純粋に好きで楽しく取り組んでいるあそびは、お金という報酬の有無は関係なく、夢中で取り組めるものです。それに、川であそんでいる子どもたちは、日焼けも髪型が崩れることも一切気にしていません。そこで、ふと思いました。今の時代の人は、あまりにも自分を見る時間が長すぎるのではないかと。ルネサンスの時代、イタリアで鏡が生まれてから人は自分自身と向き合うようになり、時期を同じくして心の内面を描いた小説が登場しました。現代は自撮り写真やテレビ会議の画面など、自分の外見を目にする機会が増え、知らず知らずのうちに見た目を意識し続けてしまっている気がしてなりません。どちらがいい悪いではありませんが、私としては見た目も気にせずあそびに夢中になれる方が素敵だなと感じてしまいます。
Well-beingを支えるコミュニティ
大人になった私が今ハマっているあそびは、自由気ままに人との出会いを求める旅に出かけることです。予定を決めずに移動して、偶然の出会いからその人の人生を遡っていき、紹介してもらった次なる人へと会いに行く。そうすることで、たくさんの学びが得られるのです。
とある田舎町に訪れた時のこと。初めて出会った人からは仕事の話をよく聞かれるのですが、そこに暮らす人のいう仕事は「草刈り」や「祭りの準備」のことでした。そして、草刈りを手伝ったお礼にいただいたのは、4個の卵。都会で生活していると、お金を稼ぐことこそが仕事だと考えてしまいますし、全ての価値交換はお金で行われるものだと思いがちです。これは、顔見知りではない人と一緒に暮らしているからこそ、お金というフラットなものを介在させる必要があるのかもしれません。一方で、田舎では誰もが顔見知りだからこそ、価値交換はお金にとらわれなくてもいいのです。移動して人と触れ合うことで、自分の常識が非常識だと分かる。その発見が、とても面白いのです。
Well-beingを目指すためには、さまざまなコミュニティに属すことをおすすめします。研究でも3つ以上のコミュニティに属している人は、明確に長生きするという結果が出ています。居心地のいい居場所をできるだけたくさん作るためにも、学ぶ、あそぶ、働くという3つのコミュニティを意識して築くとよいでしょう。居心地のいい一つの場所に依存してしまうと、そこでうまくいかなかった時に破綻してしまい、救いようがなくなってしまうリスクがあります。それぞれのコミュニティにおける人間関係で形成される人格を複数持ち、「健全な多重人格」でいることが、Well-beingを高める上では欠かせないのです。
政府も子どもの居場所の重要性に注目しており、「こどもの居場所づくりに関する調査研究」を実施し、こども家庭庁を中心として多様な居場所づくりを推進しています。日本は諸外国に比べて労働時間が長く、子どもが家族とともに過ごす時間が少ないという課題があります。家庭を子どもにとっての大切な居場所にするためにも、家族と過ごす時間を意識的に増やすことが求められていくでしょう。
複数の安心できる居場所を作ることは人生を豊かにしますが、人と関わることが好きなタイプやそうでないタイプ、目標に向かって計画的に挑戦したいタイプや後先は考えずにまずは行動したいタイプなど、人の個性はさまざまです。無理に自分の個性や価値観とは異なることに取り組んでも、Well-beingな状態とはいえません。自分がどういう個性を持っているのかを知るためにも、あそびは有効です。例えば川あそびをする時、最初に飛び込む人もいれば、その姿を見てやってみる人、皆が飛び込んでいるから別のあそびを考える人など、個性豊かなあそび方があります。子どもはもちろん、大人も童心に返って思いっきりあそぶことで、自分自身を理解し、発見できるかもしれません。