「遊んじゃうもの」
遊び道具を作るんじゃなくて、そんなものなくても歩道の花理の縁をわざわざ危なっかしく歩いてみたり、ガードレールにぶら下がってみたり、地下鉄の丸い柱にかぶりついてみたり。
彼らにとって遊んでしまうのは、言ってみれば彼らなりの価値をアフォーダンスとして取り入れているのだ。
あえて遊ぶための遊具をデザインするのではなく「遊んでしまうもの」をデザインしょう
とした。例えば「オモチ」は、滑り台が鏡餅のような格好をしているが、遊んでいるうちにお餅の滑らかな表面にかじりついたり、ずり落ちたりして表面と戯れている。大人はその光景をみて微笑んでいる。綺麗に磨かれた表面にしがみつこうとして、彼らの指先がまるで、アマガエルの吸盤になっているかのように見える。高光沢は彼らの接触を喚起する。
「バンリ」は、登ったり降りたり突っかかったりしながら、エンドレスに遊ぶ。身体がぶつかり合うのが楽しいのだ。
佐藤卓さんは「遊んでしまうもの」じゃなくて「遊んじゃうもの」の方がしっくりくるんじゃないのと言った。確かにそう思った。思った通りに遊んでくれるものほど、つまらない提案はない。子供にとって、すべての遊びが創造のアフォーダンスの海なんだ。デザインは、そこに棒を立てたり、岩を置いたりするだけでいい。でも、岩じゃあからさまだから、鏡餅みたいな違和感を持ち込む事がおもしろい。「まさか、こんなに小さい万里の長城があるなんて!」ってところが面白いんだ。「キューブ」は、隠れ家的という要素がある。自分の場所を確保したいんだ。どこから遊んでいいか、こんがらがりながら遊ぶんだ。
「タワラ」は落っこちそうな楽しみがある。藤井さんの写真を見ると、おとぎの国の生き物みたいだ。「ラフト」は元々、落っこちるのを堪える遊びなんだ。
大人の遊びは、子供の進化系で繋がっているんだ。子供の遊びに大人がマジになるようなことでないとつまらない。
これは遊具なのだが彫刻でもある。存在が妙なところがいいんだ。
深澤直人
「優しさと美のカタルシス」
深澤デザインのプロダクトを、雑誌の連載で12年間撮り続けている。
初は、色や形のデザインを中心に見せていたものが、次第に物の輪郭と周囲、そしてそれを取り巻く環境へと視点が変化している。
以前 “more trees”のベンチを公園に置いて撮影した時、その美しい後ろ姿を見てプロダクトデザイナーも、また風景を作る仕事なのだと思ったことがある。
「ランドスケープデザイン」何とも遠大で重要な仕事の概念である。
写真家は風景を作ることは出来ないが、人が作ったものと自然界の接点を視つめ、その姿と在り方を写真で問うことは出来る。
その事は写真家としての大切な仕事の1つであると思っている。
この遊具達はスタジオではなく、山と海の自然の中に、そしてその対極ともいえる都市空間の中に置いてみたいと思った。
その与えられた環境の中で何を発し、何を受容して風景を作るのか?
結果、風景が変わった。
遊具の周囲に風が吹き、空気が動いた。発光と吸収。異化と同化。
リアルでありながら、どこか懐かしい絵本の世界。
静止しているのに動いている。鳥の歌が聞こえる。
都市空間に空いた穴は、異界への入り口。
禅寺の枯山水に似た遊具のオブジェ。
光と陰を吸収して、環境に同化、異化した遊具、彫刻達。
人は、どうしようもなく物を作り続ける動物。
同じ作るなら、大人にとっても子供にとっても優しくて美しいものを作って欲しい。
このデジタルと人工知能の時代にこそ、その優しさと美のカタルシスが必要と思うのです。
藤井保
「遊具:濃密な行為の森」
異種の物質が混合する固さが世界のかたちをつくっている。物質の一部は透明な空気中に露出して、そこには面のレイアウトがあらわれる。それがヒトを囲んでいる。
トポロジカルに閉じて、地面から離せる面のレイアウトはモノとよばれる。ヒトは動かすことのできない大きな面のレイアウトを床や壁や屋根にして家をつくり、そこにたくさんのモノを持ち込んで棲んでいる。
面のレイアウトが、身体の動きのつながり、つまり行為をヒトに与えている。たとえばキッチンのシンク周りに、まな板を立てて置く隙間を探す。つかまり立ちをはじめた乳児は、居間の壁際に手でつかめる凹凸を探す。街では、家並で遮蔽されている路の縁の向こうに目的地への視覚を探る。
深澤直人の遊具は、いくつもの面を埋め込んでいる。
「オモチ」にある広い湾曲面に、子どもは全身でふわりと覆いかぶさる。やがて横へと流れるように傾斜する湾曲が姿勢を転がして、柔らかで切れ目のない動きの流れになる。
全身が「オモチ」のかたちをなぞっている。
「バンリ」は高低にうねる壁で囲まれている。中には回遊する通路があり、その頂上と谷の間には傾きの異なるたくさんの勾配がある。子どもは、小さな違う場所が隣接する「バンリ」で、自分が占めている場所にふさわしい行為をはじめる。隣の場所にいる子どもは、同時に違うことをしている。やがて違うことをする子どもたちの連なりが「バンリ」を埋め尽くすことになる。遊具では、ただ遊ぶことだけが行われる。遊びでは、あらゆる種類の姿勢と動きが思いがけなくあらわれて、何度でも試される。遊具では、身体の未知とレイアウトの未知が出会っている。深澤の遊具は、自然がどの部分でもそうであるように面の多様体であり、そこは「行為の森」になる。
藤井保の景色に深澤の遊具が静かにたたずんでいる。遊具たちは濃い行為のしずくに濡れて淡く輝いている。
佐々木正人
2003年NAOTO FUKASAWA DESIGN 設立。 卓越した造形美とシンプルに徹したデザインで、イタリア、フランス、ドイツ、スイス、北欧、アジアなど世界を代表するブランドのデザインや、国内の大手メーカーのデザインとコンサルティングを多数手がける。デザインの領域は、腕時計や携帯電話などの小型情報機器からコンピューターとその関連機器、家電、生活雑貨用品、家具、インテリアなど多岐にわたる。2010〜2014年グッドデザイン賞審査委員長。多摩美術大学教授。日本民藝館館長。
早稲田大学助教授、東京大学大学院教育学研究科教授(情報学環教授兼任)を経て現職。 行為は、扱うモノや場面によって自在にすがたを変えている。それを可能にしているのがアフォーダンスである。乳幼児などを対象に、からだの動きに行為柔軟性があらわれるプロセスを分析してきた。その成果から環境デザインについてもヒントを得たいと考えている。 著書に『新版 アフォーダンス』『レイアウトの法則』『動くあかちゃん事典』『ギブソン生態学的知覚システム』(監訳)など。認知科学会フェロー。
1979年東京藝術大学デザイン科卒業、1981年同大学院修了。 株式会社電通を経て、1984年佐藤卓デザイン事務所(現TSDO)設立。 「ロッテ キシリトールガム」や「明治おいしい牛乳」などの商品デザインをはじめ、広くシンボルマークやグラフィックデザインを手掛ける。また、NHK Eテレ「にほんごであそぼ」アートディレクター、「デザインあ」の総合指導、21_21 DESIGN SIGHTディレクターおよび館長を務めるなど多岐にわたって活動。著書に、『クジラは潮を吹いていた。』(DNPアートコミュニケーションズ)、『塑する思考』(新潮社)など。
Images
Production story
「遊んじゃうもの」というテーマのもと、伝統的な遊具のデザインに挑戦する試みが行われました。遊具は単なる道具ではなく、オブジェクトとしての美しさを備えながら、子どもたちが自然と遊びに引き込まれる環境を提供するものと捉えられています。深澤直人氏は、遊具をデザインする際に機能ではなく遊ぶ行為そのものを重視しました。YUUGUの「アフォーダンス」によって、子どもたちは自然に遊びを創造していきます。INSIGHT
例えば「OMOCHI」はその丸みを帯びたフォルムにより、子どもたちによじ登ったり、滑り降りたりという直感的な遊びを促します。また、「BANRI」のリング状の坂道は、子どもたちの動きに連続性をもたらし、エンドレスな遊びを生み出します。これらの遊具では、大人が予め定めた遊び方に縛られることなく、子どもたちが自らの直観で様々な遊びが創造されます。SOLUTION
書籍化のプロジェクトにあたっては、遊具を単なる子どもたちの遊び道具としてではなく、自然や都市空間というより広範な環境の一部として位置づけることにより、新たな視点から本質を切り取りました。こうしたアプローチにより、遊具は単なる物体から風景の一部へと昇華され、自然や都市と同化・異化し、そして感性を育む芸術的なオブジェとしての役割を担うことで、人々の生活により豊かな体験と新しい価値をもたらす可能性が浮かびあがります。HOW IT WORKS
YUUGUには、深澤直人氏デザインによるシリーズ初期7作の遊具を収録。全編の撮影に写真家の藤井保氏、アートディレクションにグラフィックデザイナーの佐藤卓氏を迎え、トップクリエイターの連携によって従来の遊具に抱くイメージを一新する美しい作品集が完成しました。
書名: YUUGU
著者: ジャクエツ、深澤直人
大型本 英語対訳 400×297mm カラー68ページ
発売日: 2018年7月26日
発行元: 株式会社ジャクエツ
発売元: 日販アイ・ピー・エス株式会社
遊具デザイン: 深澤直人
写真: 藤井保
アートディレクション: 佐藤卓
詩: 佐々木寿信(詩画集「遅日の記」より)
紙面デザイン: 鈴木文女
協力: 佐々木正人、社会福祉法人放泉会 瓜坂正之、株式会社石見銀山生活文化研究所 松葉忠・三浦類、葛西薫